八戸のぶなが 朝まで三戦

三戦固定八戸のぶながが、日々の想いを綴っていくブログにしたい。

映画をいくつか観た

子供の頃から、課題と名のつくものはギリギリまで手を付けない性格だった。この間も映画鑑賞券の使用期限が数日に迫っていたため、あわてて数本観た。中には特段観たくない映画もあったが、券が勿体無いので無理矢理に観た。どうやら昔の性質は今の今まで尾を引いているらしい。

 

まず『この世界の片隅に』を観た。

面白い映画だった。主役の能年玲奈の声は、非常によく合っていた。くわしい内容は色んな人が語っているし、一々言及しない。敢えて感想を書くなら、戦時中という非日常のなかの日常描写が良かった。主人公が非常に健気なわけでもなく、何か大事件を解決する訳でもない。ただ勝手に戦争が起き、原爆が落ち、玉音放送が流れる。そういった出来事に対して、主人公は何の介入も出来ない。物資が乏しいながらに食事に工夫を凝らしてみたり、風景のスケッチを憲兵咎められたりしながら、日々を淡々と過ごしてゆくのである。ある事件が起こるまでは。

 

観終わって、震災のあった頃、なぜか状況を楽しんで暮らしていた自分を思い出した。停電の夜は星がよく見えたし、地上では真っ暗な街に渋滞の車のライトだけがくっきりと浮かび上がって綺麗だった。闇の中では色んな人が必死に働いていただろうに、景色が美しいとか、来週仕事がなくなって嬉しいとか、そういう事を考えながら過ごしていた。あの日々を写真かなにかに残しておければ良かったなあ、と思うが、しかし私には絵も写真も心得が無いのだった。

 

しかし、上の話は映画と何も関係が無いな。映画を引き合いに出して、ただ自分語りをしたかっただけではないかな?(八戸のぶながの自己批判

 

 

それから券が使い切れず、仕方なく『君の名は。』を観た。

実はAbemaTVの新海誠特集でいくつか作品を観て、苦手感を抱いていたのであまり気が進まなかった。最高の映画とは思わないが、嫌いな映画ではなかった。背景も綺麗だったし。

この映画を観終わって、またもや震災の事を考えてしまった。彗星の落下によってなくなった町。その水没した瓦礫や、立入禁止のバリケード、復興庁の名が入ったビニールテープを見れば、どうしても連想してしまうのだ。「もしもあの災害の瞬間に介入できたなら?」というifをあの映画は描いていたのではないか。私は東北脳なのでそう考えてしまった。

 

 

シン・ゴジラ』を観終わったときもそうだが、今年ヒットした邦画を見ると、どれも私は震災の事を想起してしまう。海から襲ってくる怪獣、消えてしまった町、戦後の焼け野原、そのどれを見てもだ。これは作品に対して自己の中の災害像を投影している部分もあるかも知れない。『この世界~』については、我が感想ながらこじつけの感もある。

ただ他方では、そういう震災の記憶を皆が消化したがっていて、その助けとなる作品を欲している部分もあるかも知れないとも感じた。(「皆が」というのは私が感じていることなので、「私が」と置き換えたほうが適切な可能性もあるが)

 

本当は他にも2本観たが、特に印象に残ったものだけを書いた。

また意味のない文章を書いてしまった。(八戸のぶながの自己批判

 

( ,_´ゞ`)